倒置法の歌です。
「われの命が指示する」という文章になれば、そのまま順序よくいきます。それを、あえて、
順を入れ替えています。

理由は、
「言い切りを避けて、結句に余韻を持たせたいということ。
 入れ替えて、その部分を強調したいということ。
 あるいは、主題を最後まで明かさず、読者の興味を引きたいということ。」
など、いろいろあります。

しばしば使われる技法ですが、単調な歌にメリハリをつけるという効果もあります。



でんとをれでんと坐れと老い呆けし我に指示するわれの命が

                             結城 みち子                           
大好きな旅の歌です。
信濃路といえば、コスモスという位にその地に似合う花の気がします。
ここで注目したいのは、「コスモス」の繰り返しをリズムよく読んだときに、その音がまるで、
「笑いやまざる妻」の笑い声のような感じに聞こえてくることです。

「コスモス」は、花の名前であるのに、ここでは、オノマトペ(擬声語・擬態語)的な役割を
果たしているということです。

読んでいる私まで、二人の楽しい旅の様子を感じます。
単純な歌は、難しいと言われますが、奥様のご様子を温かい目で見ている作者も見えて
大成功のお歌ですね。




コスモスコスモスコスモスばかりの信濃路を笑いやまざる妻を率てゆく

                             永井 和宏                           
                           
打ち消しで止める形。
断定ですし、強い調子や厳しい調子で言い切った感じが残ります。
数少ない形のようです。

余韻を好むお歌には、向かない形です。
ただ、使い方によっては、逆に消極的に聞こえると言う人もいます。
どんなお歌があるか、これを機会に、いろいろな歌集を読み進めて見てください。




 戦ひにはてしわが子と 対ひ居し夢さめて後、身じろぎもせず

                         釈  迢 空                            
終止形止めです。
助動詞や動詞などの活用形のあるもの、つまり、用言止めの技法です。

余韻を残すと言われて、一時期多く使われてことがありました。

現在は、口語短歌に多く使われています。
一瞬、投げ遣りとか素っ気無い感じという言われかたもしましたが、古いものからの
脱皮とも言われ、流行しました。
印象は、人それぞれというところでしょうか?




潮騒に君のにおいがふいに舞う 抱き寄せられて貝殻になる

                         俵 万智           
自分の奥さんを詠んだものです。
もちろん、恋の歌に属しますね。
恋の歌にもこんなに素敵なものがあるのかと、感動したことを覚えています。

「何年たっても、出逢ったあの頃のままだね」と、ただし、過ぎし十年の中には、
計り知れないものがあるのかもしれないとも思いますが・・・・。
それさえも、感じさせないくらいのピシッと着地したお歌です。

そこが体言止の効果でしょうか。
名詞などで止める方法です。
割り切りのいい終わり方ですので、余韻は持たせずに言い切ります。


それに比較してみると、
その他の形で終わるものにも、それぞれ特色があります。
ここから、しばらくは、それを比較して見ていくことにしましょう



 耳のうら接吻すれば匂ひたる少女なりしより過ぎし十年

                         近藤 芳美
                           
省略のある歌。
「影のごとしも」の「ごとし」と「も」の間には、本来、「身」という言葉が繰り返される。
「わが現身は、影のような身であることよ」のように。
音の数によっては、繰り返しの技法を用いて畳み掛けや強調をする方法もあるが、
このように、省略されていく方法もある。
やはらなる暮春の夜の闇に佇つわがうつそ身は影のごとしも
   
                           木俣 修
                            
句またがりの歌。
前の歌で、句またがりという言葉を使いましたので、その説明をこの歌をお借りして・・・。

四句と結句は、定型に当てはめると「少年たりし  日のわが光を」という切り方になります。
でも、実際の意味から考えると、「少年たりし日の  わが光を」ということになります。
このように、ひとつの言葉と成すものを、二つの句にまたがっているものを句またがりと言い
ます。

懐かしい響きのものを媒体として、少年として過ごした日々をたどってゆくという雰囲気と流
れのある素敵なお歌で、その効果も大きいと思います。




                             たず                            かげ
ハモニカのしらべにのせて温ねゆく少年たりし日のわが光を
                               原 裕
文語で、全部ひらがなの歌です。

漢字混じりにすると、
「来む世にもまた来む世にも過たぬ道選びして静かにゆかむ」
「来む世」は、「死後にやって来る世」つまり「来世」という意味です。
この歌は、彼女の辞世の歌ともいえるものです。
ひらがなで歌われたことで、読みにくい感じがしますが、逆に言えば、ゆっくり読まなけれ
ば意味をとることができないために、じっくりとしみじみと歌を味わうことになりそうです。

誰でしたか、ひらがなの歌こそは、句またがりや字あまり・字足らずは使えず、定型で、
きっちり詠みあげなければならないと言った人がいましたが、その通りと思いました。



こむよにもまたこむよにもあやまたぬみちえらびしてしづかにゆかむ   

                             増田 雅子
口語の歌。
まず、ふつう、口語というのは現代語とか話し言葉・文語というのは古語とか書き言葉という
ように分けられます。

ここでは、特に「今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよ」と、会話を使った歌をあげて
みました。

「・・・・なんて」「どうでもいいよ」という日常の会話も、読む側には親近感がわき、わかりやす
いという感覚ですっと読み進められます。
今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海    

                             俵 万智
ここでは、短歌の技法をさまざまな角度からみていきたいと思います。
その4 技法を考える
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