さまざまな場面に ・  ・  ・  ・ 
日本語には、微妙なニュアンスを表現したり、四季の移ろいを言い表したりする
素適な言葉があります。そんな言葉たちを集めてみました。
季節を彩る言葉たち
<さまざまな場面の>

<夕眺め>
夕暮れにその景色を眺めながら、もの思いすることを言いま
す。
ずっと胸の奥底にしまいこんでいた思いが、よみがえるのが、
黄昏時なのかもしれません。
<雨障り(あまざわり)>
雨の中にあって、精神をかき乱されることがあるといいいます。雨の種類にもよるかも知れないが、雨で外出がままならないときにも使います。
<雲の余所(よそ)>
はるか遠くのことです。
雲を使った言葉は、この他にもたくさんあります。
「雲に梯(かけはし)」と言えば、分相応でとても叶いそうにないことです。
「雲の使い」は、ゆく雲を遠く離れている人への使いとして見立てた言葉です。何にしても、遠いものをたとえるのでしょうか?
まだまだたくさんある雲のお話は、また書いてみます。
<あえか(なり)>
かよわいとか弱々しい中に美しさがある様です。はかなげな美しいものにも使われます。

<朝影>
早朝の太陽の光は、影を細くしますので、恋や悩みごとで細った姿を「朝影」にたとえます。
また、朝は太陽高度が低いので、波長の短い青い光はとどかず、赤い光だけがとどきます。そのために、朝焼け・朝あけが起こります。
   
<あかきこころ>
いつわりのない心。まごころを言います。赤き心とも明き心とも書きます。万葉集の頃に最初に出てきています。
<あかつき>


「あかとき」という言葉の転じたものです。夜半から夜の明ける前までのことですが、まだ明けない寸前の暗い時分を指します。(その後が後述してある曙です。)「暁月夜(あかつきづくよ)」は、その時分に月が残っていること。明け方の月・有明の月です。

<波の使い>


寄せては返す波の様子を表わす言葉です。波の便りとも言います。

<憂き瀬>


川などの浅いところは、瀬と呼ばれます。浅くて渡れる場所です。また、瀬は、立場とか機会という意にも用いられます。憂き瀬は、つらい境遇を言います。逢う瀬は、逢う機会です。とくに、男女の密会のような場合に使われます。「立つ瀬がない」などの使われ方もありますね。
<思い川>
思いの深さを川にたとえたことば。
川辺といえば、物思う場所とされることが多い。そこで、恋の深さは、恋川・・・・あふれる涙は、涙川と言われる。

その他
<思いの露>・・・思いが強く、つのるゆえにこぼれてしまう涙
<心の露> ・・・・悲しみにあふれる涙などの表現もある
      
<初空>
各々の季節ごとに、初めてその季節らしい空を感じたときに言う。
<空悋気>
同じ空でも、この空は、空っぽという意味の方に使われる。
何の根拠もない嫉妬とかうらやましさに使う。
他にも、絵空事・空々しいなどは、この意と同じ、空っぽとか嘘とか中身のないときに使われる。
<言葉の露>
   

露は、人生のはかないものにたとえられます。
この場合は、美しいけれどはかないものをたとえています。

<春>
  

<つらつら椿>
奥山に点々と連なる椿を詠んだ歌がありました。
♪巨勢山(こせやま)のつらつら椿つらつらに
              見つつ偲ばな巨勢の春野を
                    (万葉集巻一の五十四)
万葉集では、椿は聖なる木とされています。まもなく来
る春の象徴でもあります。
実際、上の歌は、春の景を思い出して作られた歌で
すが、東大寺のお水取りからはじまる古都の春は、
和紙で作られた「糊こぼし」という名の椿の花から
始まります。
<芹摘む>
七草にかかせない「芹」には、実はかなしい言い伝えが
あります。
昔、高貴な女性が芹を食べるのを見た男性が、芹を摘ん
で自分の思いを遂げようとして期待して出かけたのです
が、徒労に終わったということです。
「芹摘む」は、それ以来、恋慕っても無駄なことにつかわ
れるようになりました。
「枕草子」にも載っています。
<雪解けの春>
「雪汁(ゆきしる)」「雪代水(ゆきしろみず)」は、雪解け水の呼称です。3月4月に暖かい雪消風が吹くと、一日に十センチくらいの積雪が解けるそうです。その水が、一気に川を流れ下ると、川や海の水が濁るほどになります。それを「雪濁り」と言います。
「雪」が付くのに、全部、「春」の言葉です。
<春霖(しゅんりん)>
春の長雨のことです。
若葉が芽吹く頃の静かな雨は春雨、花が咲き初める頃は催花雨、菜の花の咲く頃は菜種梅雨・・・と呼称も変わります。
<駒返る>
年老いてしまったように見えていたものが若々しさを取り戻すことです。
また、冬に枯れてしまった草が、春の息吹とともに芽吹く様子には、「駒返る草」のような表現でも使われます。
元気なく弱々しかったものも、元気を取りもどす季節・・・・。
<曙(あけぼの)>
春の夜明けは、ゆったりとゆっくりと、少しずつ少しずつ明るさが増していきます。やわらかな光の朝は、東の空を赤く染め、ほんわりとしたところから、徐々にあたりが見分けられるようになります。
夜が明けましたという感じではなく、夜の闇が開かれていくような感じでしょうか。「春は曙・・・・」
<おもむろに>
春を彩るかどうか疑問を残しつつ、「ゆったり」・「物静か」・「ゆうるり」という、せかせかしない優しさとか大きな心みたいなものが感じられる言葉なので、春そのものと・・・・。

似た言葉で、少しニュアンスを異にするものに
「そろそろ」・・・時間をかけて物事が静かに動くとか進む様子
「のたり」・・・・ゆるやかにうねりのある様子
がありますね。
私にぴったりの春です。
<かおれる雪>
眼交の雪から、香りが立ち込めていることですが、雪は、梅の枝にたくさんついている白梅の蕾のことです。雪かと見紛うほどに白い蕾が、今し咲こうとしている様子です。その馥郁とした梅の香りがあたりに立ち込めているのです。
春が来ます。
<さえずり>
春になると、鶯の初音が・・・・。
「さえずり」は、よく「ホーホケキョ」とか「谷渡り」は、「ケッキョ
ケッキョ」と鳴ききりますね。
      
そこで鶯のお歌、
「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも」/家持

今、季節は、春を迎え、春の野には霞がたなびいている。
春の盛りというのに、この夕暮の光の中に、鶯の鳴く声を聞いていると私の胸は、切なさでいっぱいになる。

そして、「悲しい」についても付け加えてしまいましょうか。「悲哀」だけでなく、この時代の「悲し」は、ある対象に心をとらわれ、胸をしめつけられるような感情になることです。恋人への愛しさ・家族への思い・美しい景色対象は広がります。

そして、「夕影」は、夕光(ゆうかげ)、つまり、夕日のやわらかな光のことです
<春雨>
「はるさめ」という音は、明るく心地よく響きます。春のこまかい煙るような雨。
この雨だけは、「春雨じゃ濡れていこう」の名台詞のように、濡れてもいい雨ですね。

やわらかな雨は、地に吸われ、待っていた芽吹きに・・。
二月末から三月の晩春に春の実感を感じさせて降ります。

雨といえば、
「育花雨(いくかう)」「養花雨(ようかう)」は、春の雨の中でも、花よ育てと降る雨です。
「甘雨(かんう)」は、野の草花にやわらかに、ゆったりと、あまーくあまく降り注ぐ雨です。
この他にも、数え切れないくらいの呼び名の春の雨がありますよ。

<ひそやか>
春は「ひっそり」と「ゆっくりと」そして、「やおらに」やってきます。唐突とか突然とか・・・急な仕草を好しとは、しません。
前奏があって、それを予感や気配に変えて訪れます。
春の時を表わすのは、「ひそやか」です。

<ひなまつり>
「ひな」は、小さくてやさしいという意味があります。女の子は、いえいえ、子どもでなくても「やさしさ」をいつまでも持って生きたいものですね。
     
そうそう、桃を詠んだ歌にこういうものがありました。
大伴家持の詠める歌、
「春の苑 紅(くれなゐ)にほふ 桃の花 下照(したて)る道に出で立つ少女(をとめ)」
     
春の庭には、紅色に輝く満開の桃の花があります。その輝く桃の花の下にたたずむ美しい少女をみて詠んだものです。
<光の春>   
二月の光は、誰の目にも強まってきたように見えます。実際は、冬至を過ぎた頃から、光は春に向かっているのですが、大気の温まりに時間がかかりますから、ずれ込んで、そのように感じるのも遅くなるのです。でも、二月の春は、一歩進んでもまた、下がるので、「寒の戻り」「冴え返る」など、の表現も混ざります。まだまだ遠いけれど、確実に春の足音は聞こえてきます。


<夏>
   


<青嵐
(せいらん・あおあらし)>

初夏の青葉をひるがえして吹き渡る風。
快い風に使います。
東から吹く「青東風(あおこち)」もあります。
<緑さす>
萌えたつ若葉ようすをいいます。「若葉さす」という言葉と同じ意味で使います。「さす」は、光や色が差し込み芽が出るというこです。目のためには、緑を見なさいとよく言われますけれど、人間の目は緑色に高い感度を示すそうです。
<五月闇>
梅雨の時分の夜は、空は厚い雲におおわれていますから、
月も星も見ることができません。
闇の濃い夜を言います。
そして、昼でも、暗いことをさすこともあります。
<涼風
(りょうふう・すずかぜ)>

晩夏に吹く快い風です。
この風を感じる頃は、少しずつ秋の訪れを感じる頃でもあり
ます。


<秋>

   



<花野>
俳句では秋の季語とされています。
ただ、「花」というと、一般的には、「さくら」のことで、春です。
でも、「花野」「花園」というと、秋の花が咲き誇る野辺や園の
ことです。
秋の七草にも見られるように、秋の花は、つつましいような
寂しげなようなそっと咲く花が多いですね。
<色なき風>
秋に吹く風のことをいいます。
平安時代に紀友則が
吹き来れば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな
と詠んだことで、定着したと言われいます。また五行思想で、秋を白としたことに基づいているとも言われます。

秋の風は、寂しげにやるせなく吹きます。他の季節には味わえない風の余韻もあり、愁いに満ちて吹くため、「悲風」という名もあります。

<秋桜
(あきざくら・コスモス)>

美しい飾りのことをコスモスと言います。今では、半分野生化して、秋の野や道端を染めて揺れています。原産は、メキシコと言われますが、適応力の高い花のようです。短日植物で、日が短くなってきたことを感じて咲きます。

「あきざくら」という和名もやさしい感じですね。

コスメティックと化粧品を呼ぶのも美しい飾りという意味からきているそうです。
<落とし水>
稲が頭を垂れるみのりの頃、稲刈りに備えて、田の水を流し出します。
与謝蕪村が「竜王へ雨を戻すやおとし水」と詠んだのは有名です。 金色に輝く稲田から、水が落とされるときに響く水音は 「今年もいい稲が実りましたね。いい仕事をしました」
・・・という満足げなささやきにも聞こえてきます。

<ゆきあいの空>
夏から秋に隣り合わせに移ろいゆくとき、空には、いろいろな気流が生まれています。高さも向きも違う気流が行きあい、澄んだ空にさまざまな雲が行きあいます。
「ゆきあいの空」は、秋の空です。
きょうは、どんな風や雲がゆきあっているのかしら。
<紅葉色と朽ち葉色>
秋になって、カエデのように葉が紅くなるものが紅葉・イチョウやニレののように黄色くなるものが黄葉です。万葉の時代から紅葉を詠んだ歌は数多くあります。科学的に説明すると色素の分解の起こり方の違いらしらしいのですが???
そして、「朽ち葉」の方は、落ちて腐った葉の色を指します。その種類は、「朽ち葉四十八色」と言われますから、いろいろ色がありそうです。黄朽ち葉・青朽ち葉・濃き朽ち葉・薄朽ち葉など

<良夜>
中秋の名月の夜のことをとくに指すという説がありますが、月の明るい夜という意です。同じようなことで、「可惜夜(あたらよ)」という表現もあります。その字の通り、とても眺めのよい夜なので、いつまでも惜しむべきものであるの意です。
<星夜>
「せいや」ですが、星の光だけで、まるで月夜のように明るい夜のことです。「星月夜」とも言います。また、星明かりのほのかな夜は、「星夜光」とも言われます。いい夜です。
<彼岸花>
その妖しげな色や様子から忌み嫌われ、墓地の花とイメージされがちですが、実は、天上の華とも呼ばれています。天から降りた赤い大きな花の意です。田や道の端に群れをなし、空に向かってあかあかと炎をあげるように咲く姿には、不思議な様子も感じられます。
そうそう白い彼岸花もあるのです。
<銀杏・いちょう>
秋といえば、この黄金色にも眼がいきます。
「公孫樹」という名前でも呼ばれますが、これは、種を蒔いたあと孫の代で実をつけるところからきているようです。
化石植物とも言われる不思議な木です。
<色ながら散る>
「照る紅葉」の中で、葉が、風に舞い散っていく様子を言います。紅葉は、枝に留まる美しさもありますが、儚く散る美しさ、落ちて道に散り敷かれて染める鮮やかな終わりかた、それぞれの趣があります。
「色葉散る」という言い方もされます。
<木の実降る>
大地に木の実が帰っていくように、木の実が落ちる音を言います。


<冬>     

<風花>
初冬の晴れた日に舞う雪。また、山に積もっていた雪が風で舞い上げられたり、送られてきたりする場合も言います。
<雪催い・雪気>
どんよりとしている雲が広がる重い空で、今にも雪が降りそうというとき。雪雲であたりが暗くなることは、雪曇り・雪暗(ゆきぐれ)と言います。雪が降りつつ、日が暮れていくときは、雪暮れです。
雪に纏わる言葉は、この他にもたくさんあり、微妙に表現できます。
<冬ざれ>
冬になり、荒涼としている様子を言います。
その他
「冬されば」は、冬になるとの意。
「冬枯れ」は、草木の枯れた寂しい冬の景。
「冬の奥」は、冬も終わり、まもなく春が来るという春を待つ時に言います。















      

 




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